ピアノ講師としては、ちょっぴり変わった人生を歩んできました。
全ての経験が、今の自分の礎となっています!
幼少期の頃から綴っていきたいと思います。
【レッスン室に入り浸り】
ピアノ講師であった母の手ほどきで、3歳よりピアノを始めました。
家にはグランドピアノが2台置いてあり、20人ほど生徒さんが出入りする家でした。
母のレッスン中はレッスン室にいることが多く、学校の宿題をするなど常にピアノの音が側にある環境で育ちました。
時間があるとレッスン室にある楽譜を引っ張り出して好きな曲を弾いたりして、良い環境で育ったと思います。
絶対音感がいつの間にか身についていて、小さい頃から音がドレミに聞こえました。
[自己肯定感が低かった少女時代】
父は厳しく頑固で、母からは「お父さんがダメって言うからダメだよ」とよく言われました。
小さい頃から、何故だか自分に自信がありませんでした。
親が不機嫌だったりすると、本当は疲れていただけかもしれないのに、「自分のせいかな」と思ったり、
周りの子と比べて自分は色々なことを器用に上手くできない。
ピアノと勉強は得意だったけれど、ただそれだけ。何をやっても冴えない、ツマラナイ人間だと思っていました。
自己肯定感が低い子供でした。
【中学時代】
小学校までは定期的に習うのではなく、母の空いている時にレッスンを見てもらうスタイルでした。
さすがに小学生高学年になると母娘の葛藤も始まり、レッスンに限界を感じるようになりました。
中学生になり、コンクールを受けることをきっかけに、昭和音大のピアノの先生につくことに。
実力は上がったけれども、自己肯定感は低いままでした。
ただ、小さい頃から母のようにピアノの先生になるのが夢で、音大に行きたい気持ちはありました。
本当は体操部や吹奏楽部も興味がありましたが、
ピアノの練習時間が減らないように
活動の少ない家庭科部へ入部しました。
【高校へ進学】
高校からは電車通学で行動の範囲も広がり、気の合う友人もたくさんできて、楽しく高校生活を送りました。
ここでも、ピアノの練習時間が減らないよう、活動の少ない茶道部へ入部。
理系の勉強が好きでしたが、高2の時に音大進学のために文系のクラスへ進みました。
数ヶ月経った頃、理系クラスへ進んだ友達が
自分の知らない数学や物理の勉強をしているのが無性に羨ましくなりました。
これまでも、ピアノをやるからと我慢してきたこと
中学の部活、高校の部活・・・
本当は、もっとやりたいことがあった。
その気持ちが爆発!!!
このままピアノをやることで、やりたいことできなくなる?
そんな一種の危機感を感じて、自分の中で一大決心。
音大に行かなくてもピアノは続けられる!
自分次第と気づき、音大へは行かず、ピアノは趣味で続ける道を選びました。
これから広がる人生へのワクワク感で満たされていました。
【一般大学へ。空手道部へ入部】
高校三年生で文系から理系へ転向し、その後順調に志望校へ合格。
東邦大学の理学部で、生物分子科学科を専攻しました。
厳しく窮屈に感じていた親元を離れ、千葉県で一人暮らしをすることに。
これからは親の目を気にせずに、自由にやりたいことができる!期待に胸がふくらみました。
大学入学と同時に、武道に興味があったことと自分自身を内面から鍛えたいという思いから、
空手道部へ入部。
仲間とともに夢中になって稽古に取り組みました。
空手道部での思い出は、楽しいことばかり。とにかく、やりたいことは何でもやりました。
登山、キャンプ、フルマラソン、親に内緒でこっそりバイクの免許を取って、先輩達とツーリングに行ったりもしました。
また、空手の道を突き詰めると
「自分の人生を幸せに生きることにつながる」ということを
師範や先輩達に、たくさん教わりました。
稽古の中だけでなく、普段から色々なお話を聞かせてもらいました。
そのことが、今の自分の核になっています。
人生は、全て自分の気持ち次第。自分の力で未来を切り開く、強くてしなやかな心を学びました。
【ピアノが弾きたい!!!】
大学生活の一人暮らしでは、アパートにピアノがなかったため、ピアノとは離れた生活を送っていました。
一人暮らしを始めて数ヶ月経ったある時。突然、ピアノが弾きたくて弾きたくて、たまらなくなりました。
母に頼んで、アパートに置ける電子ピアノを買ってもらいました。
部活の仲間の前でピアノを弾くと、自分でも驚くほど皆が感動してくれました。
それまで、自分の演奏で人が感動してくれたことなんてなかったし、
誰かのためにピアノを弾こうと思ったこともありませんでした。
それから、人前でピアノを弾き、自分を表現することが大好きになりました。
【自分が本当にやりたいことは??】
大学卒業後の進路を考えるにあたり、「自分が本当にやりたいことは何か?」ということを疑問に持ち始めました。
自分が心から求めているものは何か?それを仕事にできる職業は何だろう?
様々な人に会い、活動に参加し、たどり着いたのが「地域づくり」でした。
そこに住む人達が、心地よく、笑顔で暮らせる街づくりをしたい。
東京農工大学の大学院へ進学し、地域づくりに関する研究を行いました。
研究室の仲間と、ある山梨県の山奥にある集落を訪れる機会がありました。
何度か訪れるうちに、そこがとても魅力的な場所であることに気がつきました。
よく手の行き届いた山あいの田畑の風景。人々が自然と共に生きる集落。
その美しさに心を打たれました。
自然とともに生きる人々の暮らしそのものが、美しい風景を作り出していることに気づき、その生きる力がとてつもなく強く、かっこよく思えました。
自分もそんな場所へ行って、「生きる力」を学びたい。そして、過疎化により途絶えつつある伝統的な暮らしの文化を残したいという思いから、新潟県にあるNPO法人に就職し、ムラおこしの活動をすることを決意しました。
【新潟NPOで人間関係で葛藤】
新潟のNPOでは、地元の方達にたくさんのことを教わりました。
田んぼや畑の作業、山から水を引く作業、道具の作り方、伝統文化を保存する仕事、大工仕事・・・
あらゆる「生きるための技能」を学びました。
地元のじいちゃん、ばぁちゃん達とのかけがえのない出会いを経験し、毎日が充実していました。
一方、NPO=営利目的ではない中で自分達の食い扶持を稼がなければならない。
若いスタッフ達で構成されるNPOの職場は厳しく、何か失敗すると強く責められ、精神的に行き詰りました。
次第に萎縮し、何もできなくなりました。
この場所で仕事をしていくことに、限界を感じていました。
【母親のレッスンを手伝う】
NPOに勤めて4年が経とうとしていたある時。
実家に帰省した際、母から
「今教室がとても忙しく、手伝ってもらえないか」と言われました。
音大進学を辞めた時点で、自分がピアノの先生になる道があるなんて、考えもしませんでした。
大好きなピアノを職業にできる!?
ちょうど仕事を続けていくことに限界を感じていた頃。ピアノの先生になることを決意しました。
実家へ戻り、母のピアノ教室のアシスタントとして働くことになりました。
【ペース・メソッドとコーチング】
ピアノ指導法の勉強のためにと、生涯型ピアノ指導法であるペース・メソッドの研究会に参加し、そこで初めてペース・メソッドに出会いました。
その教育理念に共感し、ペース・メソッドのレッスンをレッスンの主軸とすることに。
また指導に役立てるため、数々のセミナーに参加しました。
その中で特に影響を受けたのが、コーチングでした。
「どんなことがあっても、その子の味方でい続ける」
「その子が、自分自身の力で成長する手助けをする」という考え方に感銘を受けました。
大学時代からずっと探し続けていた、「自分が本当にやりたいことは何か?」
その根源にあるのは、
「自分の目の前にいる人達に笑顔になってほしい」ということでした。
生徒を心から応援し、共に成長を喜び合えるレッスン。それが自分のやりたいことだと気づきました。
2年後、独立してピアノ教室「Ricoミュージックスタジオ」を開きました。
3年目で、生徒数が20名超え。
【レッスンがその子のありのままでいられる時間に】
自信がなく、自分自身を押し殺していた少女時代。
その頃から、「本当の自分らしく生きる」ことを、ずっと求め続けてきました。
だからこそ、自分の教室の生徒にも、その子が本来持っている力を惜しみなく発揮して、
胸を張って素晴らしい人生を生きてもらいたいと思っています。
家庭や社会環境の中では、子どもなりに色々な役割があると思います。
お兄ちゃん・お姉ちゃんとして、
妹・弟として、
友達の輪の中でも、
時にはありのままの自分でいることが、難しい時もあるかもしれません。
でも、レッスンに来た時は、いつでもその子がありのままでいられる時間であってほしい。
そして私は、その「ありのまま」を受け入れ、認め続ける存在でありたいと思っています。
そして、他の誰と比べる必要もなく、
生徒さん一人ひとりが
それぞれの目標、成長したい自分に向かって
楽しくピアノに向かえるレッスンを目指し、
日々奮闘しています♪♪
【資格・実績】
・I.P.T.F(国際ピアノ指導者協会)会員
・ピアノ脱力法メソッド公認トレーナー
・GCCAジュニア・シニアコーチ
・リトミック研究センター 指導者資格ディプロマB取得
・第22回グレンツェンピアノコンクール大学・一般コース金賞受賞
・第52回国際芸術連盟新人推薦コンサート出演